5/4〜5 トルコ   4/23 出発 アンカラ  4/24 アンカラ カッパドキア  4/25 カッパドキア ギョレメ  4/26 絨毯工場 コンヤ  4/27 アンタリア アスペンドス  ペルゲの遺跡  4/28 ハドリアヌス門 波のない海  4/29 ヒエラポリス パムッカレ  ヒエラポリス   4/30 エフェソス イズミル  エフェソス   5/1 トロヤの遺跡 ベルガマ  トロイ遺跡  ベルガマ遺跡  5/2 イスタンブル グランドバザール  5/3 ブルーモスク アヤソフィア  ブルーモスク   アヤソフィア大聖堂  5/4,5 帰国 
アンカラ カッパドキア 1998/4/24
宿泊地;アンカラ  ホテル;dedeman hotel ankara  モーニングコール7:00  パッケージダウン7:45。朝食7:00

出発8:30 出発ちょっと前に、ひとりで、ふらふらと散歩。外に出る。思ったより寒い。寒さに対しては考えがちょっと甘かったか? 見知らぬ人に“コーリアからきたのか?”と尋ねられる。昨日も空港で同様のことがあった。韓国の人が多いからだろうか。それとも・・・・? 街中は車が結構多い。絵はがきを3通出す。100万TLで55万TLのおつりがきた。15万TL/枚の料金みたいだ。外にあるポストに、自分で入れろということなので入れた。 多分言われたポストだと思う。無事着くかどうかは帰ってからの楽しみ。 日本のポストとは形状・色が異なる。 無事着いていた。

アナトリア文明(考古学)博物館
 博物館はアンカラに残るオスマン建築。 1464〜1471年に、建設されたベデステン バザール。貴重な品々の保管場だった。 1960年代、大規模な修復 アナトリア文明博物館となる。 博物館はドーム屋根。 大きくはない。紀元前6千年前の集落。 世界最古の町 チャタル・ホユックの神殿復元。青銅器時代 、ヒッタイト時代 、フリギア時代の展示多数。チグリス、ユーフラテス2つの川に挟まれた、メソポタミア文明が栄えた頃のものが多い。旧石器時代〜新石器時代〜銅石器時代〜初期青銅器時代〜アッシリア植民市〜ヒッタイト ヒッタイト帝国  後期ヒッタイト〜フリギア〜ウラルトゥ〜ギリシオ、ローマの物が綺麗に並んでいた。博物館内で置物 Stag Statuette:鹿のような形をしたブロンズ像 1つ、 water1本、 本1冊を買う。建物の外でバスで、博物館にきた小学生の写真を撮った。先生が笑顔で声をかけてきた。 笑顔で近寄ってきた学校の先生に名刺をいただく。生徒も全員笑顔で挨拶。 今回のトルコ旅行中何処でも見られた。日本人に好意を持っていてくれていることが分かる。 トルコの人は大変な親日家といわれる。一方、申し訳ないが、トルコのことをほとんど知らない。このギャップは何????



アチャトルク廟   アチャトルクは、近代トルコの建国の父といわれる。アチャトルク廟は、トルコ国民と国民議会の願いにより、1944年から9年かかりで完成。霊廟奥にアチャトルクの棺がある。大理石の参道の両側にヒッタイト様式の24頭のライオン像が並んでいる。軍人が廟を警備。日本の皇族からの記念品の展示がある。

アチャトルクについて  トルコで大変有名。尊敬されている。「オスマン・トルコ帝国」発展で16世紀に最盛期 。 しかし、近代化に失敗。19世紀に衰える。第一次大戦ドイツ側に参戦し敗北。国土分割の危機にあう。ケマルパジャ 後に、アチャトルクと呼ばれる。「救国戦争」4年間戦い勝利 。923年、共和国として初代大統領となる。1923〜1938年、トルコの近代化をはかる。日本の明治維新を参考に「日本に学べ」をスローガンにする。政教分離に成功。大トルコ国民議会よりアチャトルク トルコの尊父の称号を贈られる。トルコの英雄。1938年病死。アチャトルク廟近辺の桜は日本から贈られたもの。アンカラ街中の政府関係の建物には、アチャトルクの画が掲げられている。トルコ国旗をいたるところに見る。 国家としてのまとまりが強い。アタチュルク廟見学後、 アンカラからカッパドキアまでバスによる305kmの移動。移動時間は4〜5時間。  

ガイドさんの説明   アンカラのシンボルはヤギ。アンゴラというヤギの種類からアンカラという名前をとった。 ヤギも多く飼っていた。 トルコはイスラム教が99% 。モスクは多数ある。イスラム教徒は、次のことを行っている。 神様を信用する。モハメットは予言者 ・毎日 日の出前 朝食後 昼 夕 夜 5回礼拝を行う。モスク中庭で手を清め、神聖なるモスクの中に入る。メッケ(メッカ)に向かって15分くらいお祈りをする。日の出前、たしかにホテルのなかで独特の旋律が町全体を覆っていた。毎年1ヶ月間の断食をおこなう。断食が終わったら、最初は2度食べる。断食が終わった3日間は、お祝いをする。お金のある人は 貧しい人に着るもの食べ物をあげる。聖地のメッケへ巡礼しなければならない。紀元後7世紀に生まれた。豚肉を食べない。 豚肉は病気の元との考えにより、モハメッドにより、豚肉を食べることは禁止された。酒は禁止。女性はスカーフをかぶらなくてはいけない。1923年まで非常に保守的だった。アチャトルクの革命により、宗教と日常生活は別になった。現在宗教は自由。政府による制限は無い。今までの習慣で、革命前の生活を続けている人が多い。しかし、最近は酒を飲んでいる人も多い。 トルコ国民は2つの義務がある。ひとつは徴兵制度。男子は20才から1年半の間、大学生は大学を卒業後。ガイドさんも経験している。もう一つは義務教育。小学校の8年間が、義務教育。 8-3-4年制。 日本と比べ1年短い。トルコの産業  第一次産業は農業。国土は畑が多い。 小麦畑が特に多い。トルコの主食はパン。 トルコでは、何でも作っている。果樹園も一杯ある。 第2次産業は織物。第3次産業はサービス業。 観光業。トルコはアジア/ヨーロッパの橋みたいなもの。元々アナトリア。 イタリア、 ギリシャ、 東ローマ時代等は領土が広かった。

今、バスはギャルバシという5万人くらいの街を通っている。モガン湖という湖が近くにある。ガソリンはアラビアの国から輸入。ガソリンは約80円/リットル。自家用車工場は、ホンダ、 トヨタ 。ドイツはホテル、 イタリアはトファシュ、 韓国は現代、 フランスはレノンの順。バス工場は、 ミツビシ、 ドイツのベンツ、 ドイツのBMW の順 。果樹はもも 、さくら 、あんず、田舎の問題・・山は侵食され木が少ない。材木は、ポプラの木が主。村人は、馬車 やトラックで広い畑を動く。郵便局をPTTという。郵便は、トルコ〜日本間を約1週間、 料金は14万TL。電話は、テレホンカードが便利。国際電話は2つゼロが頭に必要 。00-81-000。家庭用電圧は220Vを使用。海抜850m、 中央アナトリア冬は雪が降る。輸送はトラック中心。 鉄道は少ない。速度制限は、一般道90km/h、 高速道路230km/h 。高速道路は4つある。1.アンカラ〜イスタンブール 450km バス高速道路代約650円。  2.イスタンブール〜イギネキャ 。 3.アダナ〜シリア国境   4.イズミル〜○○   羊 や牛を飼っている。 一番多いのは羊。 葬式は火葬、 土葬は無い。 今バスで聞いている音楽は、イスケダルという人?  旅行記  外の景色はほぼ同じ景色。 ドイツと似ている。丘のところに、ドイツではぶどう畑があった 。こちらは何んとなく荒れ地模様。一面に続く小麦畑。所々にポプラの木が見える。家は点々といったところに散在している。対向する車はトラックが多い。電力は水力発電所が多い。 火力発電所は少ない。

ガイドさんの説明  街は車が多い。絨毯は、カッパドキアかベルガス。革製品、トルコ石は有名。イスタンブールは高い。ホテルでの買い物は高いのでしない方がよい。お菓子は色々ある。 1年くらいもの持ちする。  旅行記  塩の湖につき写真休憩。湖は雨が降らないと白くなる。塩の湖 昔は海だった? トルコの塩生産のかなりを占める。精塩所が近くに多い。  ガイドさんの説明 今夜泊まるホテルに、トルコ風呂がある。垢すり 男/女別々。 垢すりマッサージをするのは男の人。18:00〜20:30男の人 。20:30〜23:00女の人 。カッパドキアの有名なものは、wine 。今バスは、シャレクプーサレ4万人の町を通っている。シャレクプーサレの第一次産業は農業   旅行記  トイレ休憩。 レストランで20分休憩。車を洗う人 、花壇に水をやる人等いる。 水が少ない。 川に水が無い。

ガイドさんの説明
  カッパドキアの村  第一次産業は農業。 キューギュルにあるホテルに泊まる。 畑の水は地下水を汲む。6,500年前はカッパドキアは内海だった。2つの火山が爆発し陸地となった。 石灰岩がもたらす奇形で世界的に有名。茸の形をした岩は、カッパドキア独特のもの。今バスは、アズヤラハンという村を通っている。 隊商宿の廃虚がある。隊商宿 サラバンキャライ。貿易用ホテルは、シルクロードに40kmおきくらいにあった。 3日間 隊商宿に泊まったら無料。村では羊を飼っている。ヒッタイト人 紀元前  ペルシャ人 カットギヤ  美しい馬の国がカッパドキヤ 紀元前2世紀ローマ人が支配。キリスト教の時代があった。バスはネチェエル人口7万人の町を通っている。

旅行記  トルコの印象。バスでアンカラ〜カッパドキアまでの移動。 大変な苦痛にはならなかった。しかし、1日中バスに揺られて疲れた。 途中の景色は、ほぼ同じ景観。 緑色になっている小麦畑。 荒れ地の連続。山は侵食されている。 岩が見えたり薄らと雑草が生えたりの状態。 急峻な山はない。 日本で見る山とは違う。日本で言えば、はげ山みたいなものが続いている。カッパドキアの近辺で、ようやく、ぶどうの木が見えてきた。荒れた山を何とかできれば豊かになれる。小麦畑のところには殆ど人はいない。 時々、トラクタとミレーの落ち穂拾いの農夫の格好をした人がいる。広々とした土地をどのように耕作しているのか分からない。まじめに働く人でなければできない。川のようなところに水は無い。 ガイドさんは水は地下水を汲むといっていた。水が豊富にあれば肥沃になる。日本の水は当地に比べ豊富。エジプトで感じた乾燥による砂があるといった感じはない。日本とエジプトとの中間くらいの乾きを感じる。中国桂林で感じた水の豊富さを思い出した。 人間の生活で、水は全くの基本である。当地の人は、 観光客の人に人なつこい。バスでちょっと目があうと手を振ってくる。全ての人ではないが、大人も子供も関係ない。ホテルは、団体旅行の日本人で、多分90%位占めている。 夕食は、19:30よりバイキングスタイルだった。 御飯が用意されていた。カッパドキア近辺で作っているワインがおいしい。 ワインが好評だった。  食事  料理は極めて質素。 ホテルにでてくる料理は、当地ではかなり華美なものと思われる。当地では小麦を主体とした食事。食事のときにでた りんごを部屋で食べたらおいしかった。小粒のリンゴ 食べやすい。 宿泊地;カッパドキア  ホテル;mustafa hotel

   トルコ   4/23 出発 アンカラ  4/24 アンカラ カッパドキア  4/25 カッパドキア ギョレメ  4/26 絨毯工場 コンヤ  4/27 アンタリア アスペンドス  ペルゲの遺跡  4/28 ハドリアヌス門 波のない海  4/29 ヒエラポリス パムッカレ  ヒエラポリス   4/30 エフェソス イズミル  エフェソス   5/1 トロヤの遺跡 ベルガマ  トロイ遺跡  ベルガマ遺跡  5/2 イスタンブル グランドバザール  5/3 ブルーモスク アヤソフィア  ブルーモスク   アヤソフィア大聖堂  5/4,5 帰国