スペイン 9/2〜3 9/4 9/5 9/6 9/7 9/〜10 
■9/6
wake-up call 6:30 朝食 7:30 package out 7:30 出発 8:30
午前 カスタネット1000pts  ホテル前で買う。
観光用のもので音はよくないような気がする。

セビリアからバスでコルドバへ移動 
コルトバへ向け出発。
茶色の土は、畑か?放牧地か?不明。
ガソリンスタンドから山羊か羊が放牧されているのが見えた。

トイレ休憩を兼ね
ガソリンスタンドで休憩。

コルドバ
バスは、コルトバに到着


コルドバ Cordoba 
スペイン南部,アンダルシアの同名県の県都。
交通・商業の中心地で,皮革工業,金銀細工などが盛ん。
イスラム支配下の8世紀に建設された
壮大なモスクはメスキータと呼ばれる。16世紀にゴシック式聖堂に改築された。
起源はローマ人の植民都市。
8世紀にイスラム支配下のイベリアの中心となる。
後ウマイヤ朝の首都として,商業・学問の世界的中心となった。
1236年キリスト教徒が奪回 約30万3000人(1995)。
コルドバ市内
メスキータの近くまでバスで行く。バスからおりメスキータの見学をする。
メスキータの入り口でオカリナ900ptsを買う。街が古いので道幅が狭い。さらに石畳の道路。
車が走ると歩行者は壁に張り付く。車はゆっくり通りすぎる。
古い街並みと現在の車社会の共存はむずかしいところがあるようだ。

メスキータ
周辺を含む歴史地区全体が世界遺産

モスクとしてはメッカのカーバ回教寺院に次いで世界第2の規模
イスラム教徒が、756年 にコルドバを首都とする王国を興した。
コルドバを西方のメッカとする目的で、作られた。
西ゴート王国時代にはサン・ビセンテ教会があった。
コルドバを占領したモーロ人は、教会の半分だけをモスクとして使った。
初期のイスラム教徒は、教会を力づくでモスクに変えるようなことはしなかった。
ところがそれでは狭すぎるようになる。
教会は元々メッカの方向とは無関係に建てられていて礼拝には不便だった。
アラブの都のモスクを模して、785〜3人の王によって増築を繰り返す。
2万5千人が1度にお祈りできる大モスクとなる。

カトリック教徒が、1236年 国土回復運動によってコルドバを取り戻す。
16C、コルドバ市民の猛反対を押し切って大改築が強行される。
改築前のモスクは大変立派なものであった。
改築がなされていなければ大変立派なモスクが残ったはず。惜しまれる。
改装には240年あまりかかり、様式もゴシック、ルネッサンス、バロックと多彩。
南北175m、東西128m。856本の大理石の円柱がアーチをなしている。
建築様式の異なる部分の接合部

イスラム教のモスクとキリスト教の教会が混在している。
イスラム教徒とキリスト教徒の戦いの歴史そのものであるような気がする。
モスクとしてはメッカのカーバ回教寺院に次いで世界第2の規模とのこと。
メスキータの内部は、広くまた美しい。大きさと美しさに圧倒される。
イスラム教会とキリスト教会が同居する形となっている。
建築様式も色々混在し複雑である様に感じる。
メスキータの入り口で買ったオカリナ900pts。優しい音が出る。音階もしっかりしている。

ユダヤ人街
メスキータの周辺にある、昔のユダヤ人街。
迷路の様に入り組んだ狭い道が続き、白壁の家々と美しいパティオ(中庭)があった。
狭いところでは人と人とのすれ違いも大変なくらい狭い。
教会の塔が路地の間から見える。
路上でクラシックギターを持った人がいて時々演奏していた。曲は覚えていない。
ギターを弾く人がいて、ギターケースに100ptsをいれ写真を一緒に撮った。
街が古いので道幅が狭い。さらに石畳の道路。車が走ると歩行者は壁に張り付く。
車はゆっくり通りすぎる。古い街並みを残すことは色々と大変なことだ。
買い物 本1500pts/ Tシャツ1800pts/  バック7500pts/ロバ置物350pts+650pts
皮製品の店が多い。洒落た店が多く並ぶ。

昼食
イカ墨料理 食べた場所を思い出せない。
午後
コルドバからプエレロラピス
途中の様子。
ぶどう畑とオリーブの木

赤土/ぶどう/植木が低い ラ・マンチャはワインの産地 ふたつのの銘柄 
マンサ・ナレーラ 白ワイン  パルデペジャス 赤ワイン?
小麦、じゅがいもそしてぶどう。時々、羊と羊飼いの人といった感じ。人が畑にいるわけではなく、
どのようにして収穫するものか興味のあるところである。
それにしても広い。日本の農業とは違う様な気がする。

途中立ち寄ったドライブイン
オリーブの油が50名のツアー客のために一瞬にして売りきれた?? 
コーヒー150ptsくらい

ぶどう畑とオリーブの木がバスから見れる。
ラ・マンチャでは緑色の畑はサフランとのこと。緑色でないところは休耕地。
ラ・マンチャはサフランの産地。世界一の生産量?
サフラン
小アジア,ヨーロッパ原産のアヤメ科の球根植物で,クロッカスの一種。
花柱の上半部を採集し乾燥したものもサフランという。
鎮静剤,芳香剤などとし,食品,化粧品の着色料(黄)とする。
パエーリャはサフランで風味をつけるとのこと。
ラ・マンチャ La Mancha
スペイン中央部,新カスティリャ地方の南部を占める地域。乾燥して樹木の少ない高原で,標高500〜600m。
思っていたのは荒涼とした大地と所々に点在する古城と砦であった。
しかし、現実には広々とした畑があったような気がする。
セルバンテスの《ドン・キホーテ》の舞台として有名

ドン・キホーテ Don Quijote
主人公はスペインの田舎の郷士。騎士道物語を読みすぎて気が狂い,自ら遍歴の騎士となる。
不正を正すために百姓サンチョ・パンサを従え,やせ馬ロシナンテにまたがって旅に出る。
さまざまな冒険に出会うが,最後には正気に返り騎士道物語を否定して死ぬ。
今日の小説は,なんらかの意味で《ドン・キホーテ》の影響を受けているといわれる。
日本では、岩波文庫より「ドン・キホーテ」永田 訳 正編 全三冊 高橋 訳 続編 全三冊が出版されている。
サンチョ・パンサ Sancho Pansa
主人公ドン・キホーテの従士。無学ではあるが,諺を得意とする世故にたけた農民。
ドン・キホーテとは対照的な卑俗な現実を象徴する人物として現れる
騎士の主人と行動を共にするうちに,その影響を受けてドン・キホーテ化していく。あくまでも主人に忠実な,心根のやさしい人物。
セルバンテス 1547-1616  Miguel de Cervantes Saavedra
マドリード近郊に生まれた。父が貧しい外科医だったので,正規の学校教育はほとんど受けていない。
ドンキホーテゆかりの宿Puerato Lapice プエレロラピス
ドンキホーテ最初の門出 旅人宿。
宿の中に古いワインを造る樽があった。中で食事も出来るようだった。

最初の門出
旅人宿

宿の亭主を城主と思いこみ、騎士に叙する式(帯甲の式)をお願いした宿。
旅人宿の裏庭で夜通し甲冑を見張ることにした、家畜に水を飲ませるための水槽がおいてあった。
旅人宿を見れるとは思っていなかったので見学できたことが嬉しかった。
ドンキホーテの木彫り6250pts /Tシャツ2200pts/ロバの置物600pts
Consuogra 
午後:昼食後、「ドン・キホーテ」の舞台となった9基の風車と古城
ラ・マンチャ地方のコンスエグラにて丘の上にたつ9基の風車。
写真では左右に風車が分かれて見えますが、実際は直線状に並んであります。
(写真真中の位置から180度の範囲で写真を撮りつなぎ合わせています。)
9基の風車

ドンキホーテとサンチョはどこを歩いたものなのか?
ドンキホーテの家はどのへんにあるのか???

「ドン・キホーテ」の舞台となったラ・マンチャ地方のコンスエグラ。
風車近くにある古城。

古城を接近して撮る。
中には入れなかった。

コンスエグラの街から風車を見る。
丘の上にたつ9基の風車と古城。風車は右上に小さく見える。

ドライブインBAR
コンスエグラからマドッリッド途中のドライブイン コーヒー150pts。

マドリッド Madrid

スペインの首都。同国中央部,標高655mの高原にある。政治・文化の中心地。
機械,化学肥料,繊維,食品,家具などの工業も盛ん。14世紀にはカスティリャの中心地となった。
1561年フェリペ2世によりスペインの首都と定められた。約287万人(1996)。
(マイペディア99(C)株式会社日立デジタル平凡社参照)
夕食 中華料理を食べる。スペインで何故中華料理か?
疑問があったが、ご飯がおいしかった。
招興酒300pts/青島ビール300pts


マドリード泊まり
ホテル:OSUNA 部屋No. 89号 
LUIS DE LA MATA 18 E-28042 MADRID,SPAIN

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