スペイン 9/2〜3 9/4 9/5 9/6 9/7 9/〜10 
■9/5

wake-up call 6:30 朝食 7:30 package out 7:30 出発 8:30
午前: グラナダGranadaからバスでロンダRondaへ移動する。
オリーブ畑がある。

時々現れる牛の看板
何かのメーカの宣伝用看板らしい かなり大きいと思われる。

osta del sol海岸
何のモチーフか??しばらくバスに乗っていると、海岸に出る。
この海岸地帯は、リゾート地で世界のお金持ちが集まってくるところと話しがあった。

海水浴場が続いている。海に泳ぎに行く人も見受けられた。
地中海はおとなしい様相をみせている。
海水浴場が続くあいにくの曇り空でした

海岸線の様子

海岸線からロンダへ向かっての山。
山賊が出てきそうな山並み・・・昔は出たとの話もあった??
途中の山は、ただ自然の厳しさを表している様に感じた。天候が悪かったせいもあるかもしれない。
晴天であれば違った景色となっていたかもしれない。

ロンダの近く。オリーブの木。
ロンダにバスが近づいたら雲がなくなり太陽の光が眩しくなってきた。
グラナダからロンダのあたりは松が多い。「地中海性気候松」というのだそうだ。

ロンダ
Costa del sol海岸 Marbellaから 50km ほど急な坂道を登りバスは Ronda につく。標高750m。
海岸から山の上の街までバスは一気に駆け上がったような感じだった。
ロンダ Ronda は、ヌエボ橋、近代闘牛発祥の地として有名。
周りを山で囲まれた、深い渓谷を望む、岩山の上に広がる街。
BC600 ケルト人が最初に住みついた。13,500人の小さな町。
切り立った渓谷によって“旧市街”と“新市街”に、二分される。
ロンダの街並み(絵葉書より)
手前の円形が闘牛場で新市街地といわれる。

バスは、町の南側の要塞跡の名残である門から旧市街へ入る。
来る者を拒むかのように立ちはだかる要塞壁と重厚な門と石畳の道がある。
しかし、道路が狭く、バスは町に入れないことが分かる。
道路工事をしていたおじさんに止められ引き返す。
バスはバックしようとするが前からも後ろからも乗用車が押し寄せる。
さらに狭い場所、大きいバスということでなかなか動けなくなってしまった。
運転手さんと道路工事のおじさんの努力により方向転換成功。なんとかもときた道に戻る。
チョットしたハプニングでした。バスはしばらく引き返した後、新市街からロンダに入る。
バス引き返し地点

新市街といっても、道路は狭く、レストランやショッップが建ち並びにぎやか。
なんとなくお祭り気分。
太陽の光がまぶしく、コバルトブルーの空、「情熱の国スペイン」といった感じだった。
バスを降り、ロンダの街を歩いて観光目的である、渓谷の両側をつなぐ橋、ヌエボ橋Puente Nuevoに向かう。
橋に行く途中に、教会やスペイン最古の闘牛場がある。
ロンダの町を町郊外から見る。白い壁と強烈な日差しのコントラストが印象に残る。

要塞壁と重厚な門

ロンダの街の教会

ヌエボ橋
ヌエボ橋は、ゆうに100mはあろうかという切立った崖に架けられている。
120m下に川が流れていると説明しているものが多いようだ。
確かにかなり下のほうに川が見えた様な気がする。
この橋がないと、旧市街と新市街は分裂してしまう。
橋の上には、大変多くの人が溢れていた。



橋は、旧市街と新市街の間に3つある。最近の橋は、1800年代に作られた橋で比較的新しい。
ヌエボ橋からちょっと離れたところに、古い橋が見えた。
ギリシャ、ローマ時代に作られたといわれている。
「アラブ橋」と「ローマ橋」と呼ばれているらしい。

レストランの入り口
ヌエボ橋近く。旧市街。昼食を食べた。
ビール300ptsがおいしかった。

闘牛場 
ロンダにある。1785年に建造されたスペイン最古の闘牛場。近代闘牛の発祥の地。

近代の闘牛の基礎を作り出したといわれる。
この町に生まれた“フランシスコ・ロメロ”という人がいる。
馬に乗って牛を狙うという従来の闘牛のスタイルを打ち破り、牛と目線を合わせるため地上に立った。
牛を興奮させるため「赤いマント」を翻し、牛に挑んだといわれる。
それ以来、闘牛士達は彼のスタイルを継承している。現在でも有名な闘牛士達を数多く輩出している。

闘牛は18:00から始まり2時間おこなわれる。闘牛士は、20分で牛を1頭しとめる。
3人で6頭の牛をしとめ終了となる。
闘牛士(スタドール)は、スペインこどもの憧れの職業となっている。
闘牛場への入場料は、3種類。ソル(日のあたる場所)6000-9000pst
ソルイソンブレ (途中まで日のあたる場所) 10,000-12,000pst 
ソンブラン (日のあたない場所)15,000pst以上

日本人での闘牛士は、下山アツヒロさんがいるとのこと。
1994年か1995年に大怪我をしてしまった。
闘牛士は、命がけの職業である。殺された闘牛は肉屋さんで解体され売られる。
肉は少し固めでおいしくないそうです。
闘牛場に入れたのはラッキーだった。闘牛場の土は少し乾いた黄色味がかった色をしていた。
流派はロメロ派とのこと。
今では,非常に古い衣装をつけた闘牛が年に一度だけ、9/9におこなわれるそうだ。
ロイヤルボックスもある。
闘牛場内に小さな展示室があり闘牛士の衣装、衣装には血が付いている。
牛の頭部の複製、闘牛をしとめたときの写真などが展示されていた。
日本人の闘牛士、下山さんの衣装や写真も展示されていた。
闘牛場外壁に掲げられていたポスター。

闘牛場の近くでの買い物
Tシャツ2,300pts/絵葉書300pts/壁飾り4000ptsくらい
街の様子 
新市街の通り 日差しは強力でした

9/9が年に1度開催される「闘牛のお祭り」のようで
街がなんとなくお祭り気分

馬車のタクシー?らしいものが
数台闘牛場の近くにいた。

旧市街地のレストランで食事をしたが街中の散策は出来なく残念だった。
街は、古い街並みが残っているようで大変良い。人が多く出ている、観光客が多いようだ。
お土産や産も面白いものを売っている。昔の町並みがしっかりと残っており良いところだ。
2〜3日滞在したい気分だった。現地のガイドブックを買わなかったのは失敗。
闘牛場を見た後、ロンダからバスでセビリアに移動
途中の様子
羊と牛が放牧されています。
手前左下のほうに見えるのが羊と牛。山羊かもしれない。土が少し黄色い。マルベイロという土らしい。

セビリア Sevilla 
スペイン南部,アンダルシア自治州の州都。アンダルシア地方で1番大きな都市。
人口約72万人。スペインでは第4の人口。スペインで唯一の内陸港がある。商業の重要拠点。
伝統工芸の陶芸製品、刺繍織物が有名。新大陸を発見したコロンブスが凱旋帰国した地。
アラブ情緒とヨーロッパ的雰囲気も持ち合わせているといわれる。
闘牛との関わりも深く、近郊には闘牛場が散在している。多数の名マタドールを世に送り出している。
BC45、ローマ帝ユリウス・カエサルは、イベリア半島支配の根拠地にする。
ローマ帝国の崩壊とゲルマン民族大移動。西ゴート族が、イベリア半島を支配するようになる。
最初はセビリアを本拠とする。その後、トレドを都とした。
711年、セビリアはモーロ人に占領された。モーロ人はそれから530年あまりセビリアを支配。
モロッコのムワヒッド朝が、1172にはセビリアを占領。セビリアはローマ時代に次ぐ第2の黄金期を迎えた。
セビリアのシンボル「ヒラルダの塔」はこの時代にできた。
1248年カスティリャ王が占領する。15世紀末から16世紀には新大陸貿易で繁栄。
1992年に、万国博覧会が開かれた。コロンブスのアメリカ大陸発見500周年を記念したもので、テーマは「発見」。
スペイン広場

1929年 イベロ・アメリカ博覧会の時に造られた。
建物には木材の様に彫刻された煉瓦とガラス陶器が使われている。
スペイン各県の歴史にまつわるエピソードを描いた絵タイル。
内部は、政府関係機関の事務所になっているらしい。
噴水と大きな建物が印象的。建物の回廊天井には綺麗なデザインが施されていた。

セビリア市内 
バスから見ているとロータリーがときどき出てくる。
ロータリーの中心には銅像がある。

車の量は多い。
駐車している車も多い

ピラトスの館 Cassa de Pilatos 
ピラトの館を見学。
ルネサンス様式にムデハル様式を取り入れた邸宅。勉強不足で建築様式の違いが分からなかった。
タイルの模様が印象に残った。ピラトスはキリストに死刑判決を下したローマの総督。
エルサレムにあるピラトゥスの館が気に入ったタリファ侯爵がこれを真似て、16Cに建てた。

バスから降りてカテドラルに向かう。
街の城壁の横を通り城壁の中に入っていく。
壁は高い。城壁の中の路地は狭い。ガイドさんに案内してもらわないと歩き方がわからない。
建物の中には、店がたくさんある。古い建物の外観の中に店がある。

店内は綺麗だ。入り口はどの店も小さいようだ。
奥行きは深い。狭い路地を通りカテドラルに到着する。
狭い石畳の道路に並んだレストランのテーブル。テーブルは路上に出ている。
狭い道路を益々狭くしている。このようなところでの食事もおいしいだろうと思う。
外のテーブルでビールなどを飲んでいる人が多くいた。
みていると、生活の豊さを感じる。また、歴史の重みと大切さを感じる。

大寺院(カテドラル)Catedral
ビルヘン・デ・ロス・レイェス広場のところにある。祈りが天に届く形。
モスク跡に、1402年から約100年かけて建てられた。スペイン最大のカテドラル。
後期ゴシック様式。幅116m、奥行76m、高さ56mと幅広な形。

モスクを改造して建てられた巨大な大寺院など、アンダルシア地方を代表する町
大寺院は、寺院行事の関係で内部の見学は出来なかった。
イスラム教とキリスト教の歴史を見る寺院の外観だった。
ヒラルダの塔  La Giralda 
セビリアのランドマーク。98m。

同じ形の塔がモロッコのラバトとマラケシュにある。
12C末にイスラム教徒とアルモアド族によって創建された。
70mの展望台から上の鐘楼部分は、1568の増築。かつてはイスラム寺院のミナレットだった。
取り壊しを免れたのは、回教芸術の中でも華美虚飾を排したアルモアド派の建築だったから。
16Cになって取り付けられた大小28の鐘と、高さ4m・重さ1288kgのブロンズの女性像(信仰の像)がある。
これが風を受けて回る様子からヒラルダ(風見)と呼ばれる。
基部は14m四方で、展望台までは35のスロープが続く。昔は馬で上った。
馬がすれ違える幅。
街の様子
街の交差点 ロータリーには噴水と像が多い。街の豊さと歴史の重みを感じる。

夕食
名物ガスパチョgazpacho セビリャ市内のレストランで食事。
スープガスパチョはおいしかった。水200pts/サングリアsangria300pts
スープガスパチョ 
スペインのアンダルシア地方の料理。
トマト,タマネギ,キュウリ,パン,ニンニクなどに酢とオリーブ油を加える。
すりつぶすかミキサーにかけて,水で薄めて冷やしたスープ。 夏の暑いアンダルシア地方に適した,栄養豊かなスープ。
フラメンコショー flamenco 
19:15からフラメンコショー(ドリンク付)を観る。
床を踏み鳴らす音の大きさと、踊りの激しさに圧倒された。
嘆き、哀しみの表現でイメージしていたものよりは少なかったような気がする。
ショー化しているためなのかもしれない。

はじめて見たが素晴らしかった。思わず手拍子をしていた。
緑色のダンサーの踊りが特に印象に残った。
良かった。ファンになってしまった。
激しい動きを一瞬止めて姿のよさを見せる

フィナーレは全員ステージに勢ぞろい。
一人ずつ交互に踊る。踊り手のテクニックの見せ場。
手拍子(パルマ)や、かけ声(ハレオ)で舞台が盛り上げる。

激しく、また悲しげに響きわたる情熱的なフラメンコショー!
フラメンコの中心は,カンテ cante と呼ばれる独特な歌
踊り,ギター・ソロも,ほとんどカンテの形式から発している。
カンテは,カンテ・グランデ cante grande(大きな歌)とカンテ・チーコ cante chico(小さな歌)に分かれる。
カンテ・グランデは歴史が古く一般に荘重な感じ。深刻な内容のものが多い。よく歌われる,
カンテ・チーコは、比較的新しく軽妙なリズム。日常の哀歓をうたうことが多い。踊りを伴うもの。
フラメンコ・ギターは,クラシック・ギターと同様にピックなどを使わず直接指先を弦に触れて演奏する。
ギターをたたき打楽器的なリズムの効果をまじえることもある。
弦をひとまとめにかき鳴らすラスゲアード rasgueado またはラスゲオrasgueo の手法も発達している。
拍子は3拍子系が優勢。

ただし,20世紀になり舞台用に幅を広げるため,カンテ・グランデにも振付が行われるようになったといわれる。
フラメンコの踊りはブラセオ braceo と呼ばれる。腕,手,指の動きに東洋的な特徴がある。
足の動きはサパテアードまたはサパテオと呼ばれる。
踊り手は上体の動きを少なくし,靴音によって千変万化のリズムを打ち出す。
靴音はとても大きく迫力がある。足さばきは時には早く強い。

激しい動きを一瞬止めて姿のよさを見せるデスプランテ 歩き方の優美さを見せるパセオなどがある。
女性はひだが多く長い裾を引くスカート。男性はぴったり身についたチョッキとズボン。
舞台のフラメンコでカスタネットが多用される。これはスペイン一般の舞踊からきた。
ジプシーたちは本来カスタネットを使わなかった。
代りにピートス pitos という指鳴しのテクニックでリズムをつくり出した。

踊りのほか手拍子(パルマスpalmas)も古くから行われた。
〈オレ!〉など,即興的に発せられる掛声もフラメンコの雰囲気を高める。

(Hitachi Digital Heibonsha世界大百科事典参照)
セビリア泊まり
ホテル:GRAN HOTEL LAR 部屋No. 323号 
PLAZA DE CRENMEN BENITEZ 3,41003 SEVILLE SPAIN

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