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■2/7
ローマからフィレンツェへ
7:30ホテルを出発。
ローマ〜フィレンツェへ移動。282km。

BARの看板

お世話になったバス

同じような景色の中をバスは高速道を通って、一直線に移動している。
オリーブとブドウの生産は世界一といわれる。
トスカーナの大地は、野菜やオリーブ ブドウが豊富。ワインもおいしい。
何が耕作されているの?



フィレンツェの歴史
BC1世紀、古代ローマの植民都市として成立。
11C、ローマ滅亡後の数世紀の動乱の時代。
12C、薬屋から金融業で、コオモメジチ家が力をつける。芸術の都に情熱をそそぐ。
13C、毛織物工業が大躍進。 メディチ家は、「神にまで金を貸している」、と豪語するほどの財力を持っていた。
フィレンツェの興隆
13〜14世紀フィレンツェの人口の推移
13世紀前半 8,000人。
14世紀初頭 10万人。
フィレンツェの通貨フローリン金貨は ヨーロッパ共通の通貨になる。
14C、毛織物工業に加え、国際金融業も発展。
石造アーチ橋、ヴェッキオ橋がアルノ川にかけられる。
1348年、ペストが町を襲い、住民の半数が死亡。
メデォチ家の家訓
「目立つなということ。なるべく人の陰に居て、実権だけを握る。」
コジモ・デ・メディチは、芸術家を周囲に集め、財力で芸術を振興。
紋章は「百合と丸薬」

15C、絹織物工業で栄える。
他国からも芸術家が集まり、フィレンツェは「芸術の都」となる。
メディチ家の支配確立。
新興財閥メディチ家は、財力で市政を牛耳り、政権の座に登る
1492年、メディチ家は、 フィレンツェから追放される。
1494年、 フランス軍の侵入。
16C、 文化の中心はローマへと移る。
1737年、 メディチ家は断絶。 
メディチ家の絵画・美術品を「どれ1つフィレンツェから持ち出さない」 条件でトスカーナ公国に遺贈。
1861年、イタリア王国に編入。
1865〜1870年、イタリア王国の首都。
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お昼前にフィレンツェに到着。
花の都フィレンツェは、アルノ川岸に開けた町。
イタリア中部 トスカーナ州の州都。 人口約45万人。
15C黄金時代、芸術の頂点。
ヨーロッパの商業とルネサンスの中心地。花の都。栄光を求め芸術家が集まった。
アルノ川

文化・産業の中心として発展。
ルネサンスは、全ヨーロッパを呑み込む。
フィレンツェで起こったルネサンス様式は、ローマやベネチアに波紋を広げた。
フィレンツェ出身の作家、カルロ・コッローディが書いたのがピノキオ。
ピノキオの人形がお土産やサンにおいてある。
観光バスがフレンツェに入るための料金所

ミケランジェロ広場
丘の上にあるミケランジェロ広場にバスで行く。
街の景観が美しい。
ドイツで見た景色に似ている。
フィレンツェの街が一望できる広場。小高い丘にある広場。
杉とオリーブの丘に囲まれ、黄土色の壁、オレンジ色の屋根瓦に統一された建物。
アルノ川とフィレンツェの美しい街並み

お土産やサン

ミケランジェロの「ダヴィデ像」のコピー

街燈

シニョーリア広場へ歩いて行く途中、アルノ川向かいの景観。

フィレンツェの街並みは古い。京都と姉妹都市。

歴史的地区として1982年世界遺産。

シニョーリア広場 
ヴェッキオ宮殿(市庁舎) 

ミケランジェロ ダビデ像のレプリカ

ヴェッキオ宮殿(市庁舎)左前の彫刻群

コジモ1世の騎馬像 

彫刻

ミケランジェロ
1475-1564年、イタリアの彫刻家、画家、建築家。
フィレンツェに近いカプレーセに生まれ
レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロとともにイタリア・ルネサンスの代表的芸術家。
1485年頃、フィレンツェで暮らす。
1488年頃、才能を認められ、宮殿に住む。古代彫刻との触れ合う。
1492 ボローニャ、ベニスへ勉学と創作の旅にでる 1495フィレンツェに帰り、翌年ローマへ
1501から約30年間 フィレンツェとローマを幾度となく往復 40才から52才 メディチ家の仕事を進める
「せめて死んでからでもフィレンツェに帰りたい」といって亡くなったらしい
彫刻 フィレンツェ市庁舎前 ダビデ像 絵画 システーナ礼拝堂の天井画 祭壇壁画 最後の審判
建築 サン・ピエトロ大聖堂の大ドーム
ドゥオモ 大聖堂

大聖堂 花の聖母寺院
13世紀に建造が始まる。
1436年、クーポラの円蓋がかけられる。
高さ106メートル。フィレンツェの象徴的な建物。富と力の象徴。ルネサンスのシンボル。
ゴシック様式。神聖な祈りの場。都市の人を全部入れられる大きさがあった。
大聖堂は着工から150年後に完成。
大聖堂正面のファサード 19世紀に完成。
白と緑の大理石で装飾



ジョットの鐘楼
14世紀後半に完成。高さは84メートル。
白、ピンク、グリーンの大理石で造られている。
ジョットの鐘楼 (右側の建物)

壁画

クーポラの円蓋?

昼食は市内のレストラン>赤ワインが美味しかった。
マカロニサラダのようなものをたべる。レストランの看板

レストラン近くの路地

街燈

午後
ウフィツィ美術館
ウフィツィ美術館のチケット

ウフィツィ美術館。回廊になっている。

メディチ家が集めた、約2,500点の美術品が収蔵されている。ルネッサンス絵画を多く展示。
以下の絵が印象的だった 
「パオロ・ウッチェッロ/サン・ロマーノの戦い」
「サンドロ・ボッティチェッリ/春 ヴィーナスの誕生 剛毅
「レオナルド・ダ・ビンチ/受胎告知  風景」
「ミケランジェロ/聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」
「パルミジャニーノ/長い首の聖母」
「カラバッジョ/バッカス」
「出口側にあった復元?模写?された聖母と天子の絵」
ウフィツィ美術館回廊より見る大聖堂

ウフィツィ美術館回廊より見るアルノ川と街並

美術館近くで絵を売っている画家が多い

お土産の革製品を買う。
Tシャツを売っている所が少ない。広場の露店でTシャツを買う。
町全体が、昔のままに、残っているような気がする。
美しく、少し長い期間いたら見る所も沢山あるように思える。
雨上がりのせいか、落ち着いているように感じた。
ローマは、ごみごみとした感じだが、こちらは少し落ち着いて入るように思えた。
ベッキオ橋
3つのアーチが美しいベッキオ橋 14世紀中ごろ アルノ川に架けられた
橋には宝石店や金銀細工の店がある。
階上はウッフィツイ宮とピッテイ宮殿をつなぐ通路。
ベッキオ橋とアルノ川

プラート泊 HOTEL;PALACE
レオナルド・ダ・ヴィンチ
1452-1519年、ルネサンス期の画家 彫刻家 科学者 フィレンツェの郊外のビンチ村に生まれる 
1466年 フィレンツェに移り住み、ペロッキオに師事 
1472年 「受胎告知」をかく
1482〜1499年、大砲や兵器の設計 死体を解剖して生理学を学ぶ 鳥類の飛び方を観察して飛行の原理を発見
サンタ・マリア・ディレ・グラッツィェ教会の「最後の晩餐」をかく
1500年〜1507年 フィレンツェへ 「モナ・リザ」を描く 
1506年、フィレンツェを去ってミラノへ
1513年、法王の招きでローマへ 
1517年、フランスのアンボアーズに行き,建築,運河工事に従事
1519年、67才で世を去る

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