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■2/6 
ローマからナポリ、ポンペイへ
7:30 ポンペイに向けバスで出発。
ローマからナポリ・ポンペイ間 235km。
途中の景色 牧草?

ガソリンスタンド

途中の景色

高速道路の料金所

日本人観光客相手に、カメオの実演販売をしている。 
DONADIO MANNIFATTURA

カメオのについて 
4,000年前 メソポタミアでは印章として用いられた。
紀元前400年頃、ギリシアで、指輪や耳飾りとしてカメオが生まれた。
材料は貝ではなく、紅玉髄、碧玉、縞瑪瑙、孔雀石といった鉱石。 
紀元前1世紀、ギリシアの技術がローマに持ち込まれた。
ローマ帝国が崩壊後、カメオ技術は何世紀ものあいだ忘れられた。
14世紀、カメオ技術復活。
個人的な装飾やキリスト教のシンボルのため、玉髄を用いたものが作られた。
ブローチ、指輪、メダルなどの装飾品もつくられた。
バロック時代に衰える。
18世紀、再び注目を集める。
ナポリでは、ブルボン家が王立彫刻学校を設立。
浮彫りや首飾りが生まれた。
カメオ彫刻の制作には、オリーブオイルとダイヤモンド粉の混合液に浸した、小さな円形の工具が用いられた。
記念に買った カメオ

ポンペイ近く。ベビスオ山が雲にかくれている。

10:30くらいにポンペイに着く。
ポンペイの遺跡。世界遺産。
Suouth Iitaly カンパニア州 Pompey。
紀元前79年8月24日、ナポリ湾に面したベビスオ VESVIO、 火山の大爆発により埋没した町。
ポンペイは思っていたよりも大きかった。
ガイドさんによる説明

2001年、江戸東京博物館で偶然に見た「ポンペイ展」で興味があった
イタリアにポンペイがあることも、よくは知らなかった。しかし、今回の旅行で見れたことはとてもうれしかった。
期待を裏切らない景観が目の前に広がっていた。
ベスビオ火山の火砕流で、古代都市が一瞬にして火山灰の下に埋まった。
18世紀の発掘で再び姿をあらわした古代遺跡。
人口約2万人の都市だった。降り積もった火山灰 7mのため建物が残った。
2,000年前の生活のあとが残っている。
火山の前に地震があり、多くの人は避難していた。
しかし、約2,000人の人が残っていて、ガスや火山灰で亡くなった。
港があり、約3キロの城壁が町を囲んでいた。
手前の低くなっている所は、昔は海だったのかもしれない。右にマリーナ門が見える。

マリーナ門
遺跡への主要入口のひとつ。門の近くに海があった。
門の左側が歩行者専用、右側が荷馬車など動物専用道路。

バシリカ
マリーナ通りからフォーロ広場に抜ける位置にある。
紀元前2世紀から町の中心地としての役割をはたす。
今日の株式取引所。商業市民裁判の役割がおおきかった。

シリカの跡

フォーロ広場
広い。ローマ時代は、町の宗教、市民経済活動の中心地だった。
雲がかかり、写真ではベスビオ山が写っていない。

広いフォーロ広場を背にした景色



VIA DELL ABBONDANZA通り
ドムスといわれる邸宅が通りに面している。
朝早かったせいか、人がいない通り。

家に入るところには、床のモザイクがある。
邸宅の玄関

VIA DELL ABBONDANZA通りから別な通りへ
通りを左に入ってから、どの通りを歩いているか分からなくなった。
人が住んでいそうな通り

2階建ての娼館
娼館の近くには居酒屋があり料理屋もあった。
商業都市ポンペイには、住民以外の一時的な滞在者も多かった。
娼館は、そのような人々の娯楽設備だった。

踏み石は車馬が通行できるようになっている。
石の道路には、車馬の車輪の跡がしっかりと残っている。

水道管
鉛でできている。からだによくない。

下の丸いところは、居酒屋のカウンタ。 
立ち飲み屋が、120軒くらいあった。

モデストのパン屋 
焼き釜戸

通りの様子

共同水槽

ポンペイの邸宅 
個人の住宅。個人の住宅は、ポンペイでは、限られたひとのものだった。
天窓のある広場があり、雨水をとり入れる工夫がされている。

発掘品の置き場所
発掘された主なものは、博物館に移動されている。
火山の噴火による犠牲者の石膏像。
酒などを運ぶアンフォラ。アンフォラの下はくぎ状で地面にたてたようだ。

アポロ神殿
紀元前6世紀、建立。ポンペイの最も古い遺構。

出口
この出口はどこだったのか、マリーナ門か?

昼食は、ポンペイ遺跡近くのレストランでスパゲティ・ボンゴレ。
昼食後、ナポリの街中をバスでちょっとみる。
ナポリの街並み。手前のコンテナ数が多い。

街の看板

洗濯物が干してある。家の外に干すのが一般的?

ナポリの町はきれいにはみえなかった。
道路に落ちているゴミが気になった。
ローマは、まだ少しはきれいかといった感じ・・・・

街の様子。 レストラン?

城(砦?)

海岸で1度だけバスを降り、写真撮影。
ナポリ湾 「ナポリを見て死ね」の言葉で名高い。

サンタ・ルチア港近くの城(砦?)

サンタ・ルチア港

ポンペイからローマへ。途中の景観。

車でローマに戻る。
18:00頃戻る。
レストラン予約が19:00とのことで、ローマ市内をバスでウロウロする。
ライトアップされた遺跡を見る。
夕食はピザ。
ローマ泊 HOTEL;PRINCESS HOTEL
[雑感]
かつては、繁栄しただろうところの「夕暮れ」を感じる。
エジプトのように墓泥棒をして生活している人もいる。
ローマは過去の遺跡を観光として暮らしている人もいるように思う。
バチカン市国は、ローマ法皇とローマ市民(イタリア国民)の戦いの結果できた。
バチカン市国は、観光客により生活を維持しているようにも思える。
過去の遺跡により生きている。先人の財を守ることにより生きているのだろうか。
過去の栄光に頼っていると、それをベースに物を考え、未来思考には及ばないのかもしれない。
過去を振り返り、歴史を勉強する事も大切だが、先のことを考えて行ったほうが良い様にも思える。
先人の残したものに、さらに価値をつけて立派なものにしていく、ヨーロッパにおいては、特にそのように思えるのだが。
それも大切、次ぎのことを考え、新しいことを常に考えることも大切、その辺が、人の生活の面白いところに思える。

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